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100年後、僕らがいなくなった世界で

エッセイ

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2026/6/2

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100年後、僕らがいなくなった世界で

  • #ざわざわ

  • #ぐっとくる

  • #ドラマ

100年後、僕らがいなくなった世界で

ひとつ、こわい想像をする。

いまから100年後。
誰かが、ふと『Cinema Continues』を見つける。
映画史130年が、1分31秒に詰め込まれた作品。

その人はおそらく、これがAIで作られたか、人の手で映されたものかを気にしない。
気にする理由が、もうないからだ。

2126年の人間にとって、「AIで作ったかどうか」は、観客が映画を見て「これフィルムで撮ったんだ」と思わないのと同じくらい、ささいな区別になっているだろう。
そう考えると、いま僕らがこれほど消耗している「AIか、人間か」という問いは、ずいぶん短い時代の、ローカルな揉め事なのかもしれない。

100年後の誰かが立ち止まるかどうかは、たぶん、道具では決まらない。

* * *

幼い頃に夢中で見た『スタンド・バイ・ミー』を、大人になって見返したことがある。
当時は見えなかったものが、いくつも見えた。

少年たちの後ろ姿の意味。
終わってしまう夏の予感。
そして、画面に夢中だったあの頃の自分のことまで、ふっと思い出した。
作品は、過去・現在・未来の時間に同時に接続している。

撮った人の時間。
最初に見た自分の時間。
見返している今の時間。
そして、まだ見ぬ未来の誰かの時間。

それらが、一枚のスクリーンの上で交差する。
こんなことが起きる媒体は、たぶん映画のほかにない。
問題は、それがAIで作った作品でも起こりうるのか、ということだ。
わたしは、起こりうると思っている。
ただし、無条件にではない。

100年残るものと、3カ月で消えるものの差は、たぶん技術じゃない。
その作品の奥に「問い」があるかどうかだ。
つくり手が何かにつまずいて、わからないまま考え続けて、それでも手放せない「問い」。
その熱が、画面のどこかに焼き付いているかどうか。
“わかること”だけで満たされた作品は、消費されて消える。
誰の記憶にも残らない。
AIだろうが、実写だろうが関係ない。
頭の中だけで、滑らかに完成させてしまった作品は時代に埋もれる。

逆に言えば。
つくり手が本気で何かを問うていれば、その作品は道具が何であろうと、未来の誰かに届く可能性を持つ。
そこだけは、どれだけ道具が進化しても変わらないと信じている。


「この時代に、確かにこういう人たちが生きていたんだ」

そう思ってもらえる作品を、このスタジオで紡いでいきたい。

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